とあるテレビ番組で31歳早稲田卒ニートが「年収3000万、年間休日180日以上なら嫌な仕事でも働きたいと思っています。しかし、そのような仕事は現代日本にはありません。ゆえに僕はブログで食べていこうと思います。」旨の発言をした。発言直後、「年収3000万以上稼ぎたい。(ブログで)」という明らかに発言を曲解したテロップが流れてきてわたしは失笑した。テロップの内容が間違っているのは明白ではあるが、面白いといえば面白いので良しとしよう。問題なのは、ツイッターにおける一般人の反応である。「ブログで年収3000万なんて、無理でしょ。」「こいつに年収3000万なんて無理。」「年収3000万稼ぎたいなら、休まず働く必要があると思う。」…。テロップは確かに強烈ではあったが、テロップだけ読んで肝心な本人の発言を誤解している人間があまりにも多すぎる。このニートの声は若干聞き取り難いと思われる。しかし、ちゃんと聞いていれば「働きたくない。ブログで食べていけるくらい稼ぎたい。」という彼の発言の趣旨は容易に理解できたはずである。年収3000万、年間休日180日という極端な条件はあくまでも例えであり、単なるレトリックの一種である。食べていけるくらいの年収が3000万だとすると、彼は毎日何を食べて生きていくつもりなのだろう。松坂牛のステーキか、はたまた銀座で寿司か。
余談はさておき。上記のような誤解が発生した理由は、人の話を聞いていなかった、もしくは聞いてはいたが正確に理解する読解力が不足していた、のどちらかだろう。
さすがに、人の話を聞いていなかったという無礼な人間は多いとは思い難い。やはり読解力が不足していた者が相当数居たと考えるのが妥当だろう。
日本人の読解力不足に関しては、新井紀子先生が「簡単な問題でも中学生の正答率は57%。中学段階での読解力は、高校以降もおおむねそのままである。」と厳しいコメントをされている。読解力が中学校までで決まるなら、日本人の読解力低下問題を解決する鍵は中学校で習う国語にありそうだ。
中学校の国語のテストは、授業で習った内容を暗記さえしていれば点は取れる。普段の授業では、
一、先生が一方的に文章の解釈を述べ板書し、生徒たちはノートを取る。
二、各班に分かれて、文章に対する自分たちの考えをまとめる。先生は、出てきた意見にコメントを返す。
のどちらかが主流だろう。すなわち、中学校における国語の授業とは「文章の解釈」である。「文章の解釈」の前に「文章の正確な読解」が必要だと思うのだが、果たして国語の授業できちんと行われているのだろうか。わたしは心底疑問に思っている。「文章の正確な読解」が中学校の国語で行われていたと仮定するなら、新井先生の調査で中学生の正答率はもう少し上がっていたはずである。
中学校の国語では、夏休みの宿題として「読書感想文」が出されるのがお約束である。この読書感想文も曲者で、わたしは日本人の読解力不足の原因の一つとして無視できぬものを感じる。新井先生の調査では「読書量と読解力は比例しない。」と結論付けられている。本当にそうだろうか。本を、文章の背景にある著者の思想や人生を感じ取れるレベルまで正確に読もうとし続ければ、読解力は上がるのである。読書感想文においても、日本中の中学生が本を正確に読む行為を続けていれば読解力は上がる。それでも読解力低下問題が存在するのだから、読書感想文が「文章の正確な読解」に寄与しているとは到底思い難い。そもそも読書感想文では、原稿用紙3枚以上などと無駄な枚数制限が課されている。そのため、中学生たちは字数を埋めることで頭がいっぱいで、書かれている文章を正確に読もうという考えには至らない。規定字数のほとんどをあらすじで埋めるのはありがちだが、読書感想文をなんとかやり過ごす方法としては最適である。もちろん、文章の正確な読解がなされている保証はない。読書を通じて生徒の読解力を養い、作品を鑑賞する楽しさを知ってもらうという本来の目的はどこへ行ってしまったのだろう。現状では、「毒書感想文」である。
他にも日本人の読解力低下問題の原因は沢山あると思われるが、わたしはここで擱筆する。