アラサー高学歴ニートの軌跡

アラサー高学歴ニートが、日々の行動や考えを記すブログです。

不登校YouTuberゆたぼん(中村逞珂)をめぐるネット言説について

「不登校は不幸じゃない」発言で一躍?有名になった不登校YouTuberゆたぼんに対するネットの意見で気になることがありました。

 

僕のツイッターのTLで、数多くの人がゆたぼんについて言及していました。その多くが「子供に義務教育を受けさせるのが親の義務だろ。この子がこのまま義務教育を受けられなかったら、この子の将来は絶望的だぞ。」という趣旨のものでした。5chでも「義務教育を受けずに成長すると人生詰むぞ」という意見が多数を占めていました。5chでは「毎日決められた時刻に決められた場所に行く、嫌なことでも期日までに完成させる、ために必要な身体と精神を養うのが義務教育である」と思わず納得してしまう理由が提示されていました。普段は「学校で習う勉強は社会に出てからほとんど役に立たない」「学校なんか行く必要ない」「義務教育程度の勉強に9年間も掛けるのはムダ」「コミュニケーションは学校以外でも学べる」という意見がネットを賑わせているのに、今回は義務教育を絶対視する意見が多数を占めていました。

 

おかしいやろ。

 

確かに、義務教育の必要性は僕も認めます。しかしながら、現状の義務教育を何の疑いもなく絶対視する意見がネット言論の大勢を占める状況に全体主義的な何かを感じたのも事実です。(ある意味、僕の反応も義務教育の賜物と言えるかもしれませんが。)

 

まず、現状の義務教育が正しく機能しているか、が非常に疑わしいです。学級崩壊、不適格教員、魔境と化した公立中学校、いじめ(犯罪) 、過度の部活動…。児童生徒の成長を阻害するような要素が現状の義務教育には溢れています。これでもネット民の皆様方は義務教育を絶対視するのでしょうか?感情や周りの意見に流されず、冷静に判断する能力は義務教育の範疇外なのでしょうか。

 

均質な労働者を多数必要とする少品種大量生産時代はとうに終わり、多様な能力や個性を持った人間を多数必要とする多品種少量生産時代を迎えているのに、未だに義務教育は均質な労働者を生産し続ける工場であり続けています。一斉授業、クラス全員に同一の宿題、組体操、合唱コンクール…。クラスの和を乱す人間には厳しい叱責や劣等感の付与、クラスからの迫害及び疎外などの罰がもれなく進呈されます。その結果が、日本になぜスティーブジョブズが生まれないのか、という嘆きにつながっているわけです。

 

宿題を嫌々やるのではなく、ゆたぼんのように宿題を積極的に拒否していく姿勢が日本の発展につながると僕は思います。自分の実力に不相応で量も不合理な宿題なんぞを嫌々やり続けるから勉強が嫌いになり勉強しなくなり、ひいては日本の知的水準が下がり日本の国力まで下がってしまう。大事なのは、嫌なことを疑いもなくやり続けるのではなく、やる必要が本当にあるのか考え、もし不要と感じたら代わりにやるべきことを自分で模索し実行する能力です。